2016年05月11日

「国内避難民」という存在


 シリア難民などの報道を見ても、一般の日本人はそれらの人々について“わが事”として関心を示すことは少ない。難民に関する報道で必ず出てくる「海外に逃れる人々を上回る多くの“国内難民”が・・」という話についてはなおさらである。

 国内難民(正しくは国内避難民*1)については、1998年に国連の人権委員会(当時)決議に従って提出された「国内強制移動に関する指導原則」という文書が存在する。
 この文書では、「国内避難民とは、特に武力紛争、一般化した暴力の状況、人権侵害、自然もしくは人為的災害の影響の結果として、またはこれらの影響を避けるため、自らの住居もしくは常居所地から逃れもしくは離れることを強いられまたは余儀なくされた者またはこれらの者の集団であって、国際的に承認された国境を越えていないものをいう。*2」と定義している。
 
 この定義の「、自然もしくは・・」から後ろの青字部分を良く読んで欲しい。
 現在の日本にも、津波や大地震で町や村が破壊されたために、また特に原発事故による放射線被爆から逃れるために、自らの住居・居住地から離れることを強いられまたは余儀なくされている多くの人々が、確実に存在しているではないか。
 これらの人々は、間違いなく「国内避難民」という国連人権委員会が定義した存在に該当する。
 しかも、国連の定義は「・・災害の影響の結果」と「・・影響を避けるため」とを明確に同等に示しており、行政による地域指定などを根拠に“自主避難者”などと区分することは認めていないのである。

 東日本大震災の発生から既に5年が経過した。子供や若者にとって、この5年という期間は決して短いものではなく、避難先が新たな故郷となり、そこでの生活が“本来の生活”になるのも当然である。しかも、原発の近接地域については、現実に“帰宅”できるのは最短でも40年後、廃炉作業の状況によってはさらに遅れることが予想されるのである。

 一体、いつまで“仮住まい”や“避難生活”をさせるつもりなのだろう。一刻も早く、新たな土地で“本来の生活”が取り戻せるように、“人”に対する手厚い支援を行うべきなのは明らかではないか。
 それでも、日本政府は依然として頑なに“帰還”を掲げ続ける。一つの理念的目標としてなら解るが、これまでの政策の中心も徹底して被災“地”の復旧・復興であって、被災者・避難者の生活の“再建”ではないのである。
 全国各地に分散した避難者、特に自主避難者たちの今後の生活見通しは、避難先の地元自治体の方針次第という状況になりつつある。受け入れ側の自治体にも様々な事情・課題はあるわけで、結局“運まかせ”ということにもなりかねない。
 
 10万人を超える“国内難民”の人生・将来に何らの責任ある施策もとらず、一方で電力業界や土建業界は最大限支援し、ジャーナリズムには圧力をかけ続ける。そんな政治家たちに、私たちはこの国を委ねている。

*1. 「国」を出ると「難民」になる。
*2. 日本語訳は、GPID日本語版作成委員会(代表・墓田桂)による。
拙著:国内避難民問題としての東日本大震災, 「人権21・調査と研究」212号, pp.40-46,
    2011年6月, おかやま人権研究センター


posted by Yorifuji.T at 06:10| Comment(0) | 難民・避難民