2018年08月14日

「カンテラ日誌」を溶解処分という異常


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 気象庁東京管区気象台の総務課が、富士山測候所の職員が68年間にわたってつづった40冊以上の「カンテラ日誌」を、他の行政文書と一緒に溶解処分したという件。
 引用した毎日新聞の記事にある通り、大変貴重な資料で本当に取り返しのつかない愚かな行為を行ったものだと思うが、この記事を含めて「戦時中の・・・」といった指摘が多く見られることには違和感がある。この資料の本当の価値は、言うまでも無く過去の「気象観測業務」の詳細な情報にあるのであり、技術史の観点からも極めて重要なものだったからである。
  "処分" に関して、総務課は「他の行政文書と一緒に溶解処分した」とする一方で「行政文書に当たらない」と主張するなど、矛盾したことを述べ、さらには「庁舎内のスペースは有限で、必要ないものを無尽蔵に保管できない」などとも主張する。本当に「行政文書にあたらず・必要ないもの」と言うなら何故 "溶解処分" する必要があったのだろう。
 この種の資料は、これまで大学等の研究機関に寄贈、あるいは博物館・資料館等に寄託するか、場合によっては職員が貰い下げて自宅に保管(退職後も)する、という形が一般的だった。つまり、今回の "溶解処分" は決して従来通りなどではなく、異常なことが起きたと見るべきであり、明らかに「行政文書管理」に関する "状況の変化" すなわち財務省・国土交通省などの一連の事案に起因する「とにかく、早く捨ててしまえ」の騒動に巻き込まれたと考えるのが自然である。
 東京新聞の望月衣塑子記者は、現在私が最も高く評価し信頼するジャーナリストの一人だが、この件について Twitter で『価値判断を現場任せにしない仕組みを新たに設けるべきではないか。』と述べていることには全く同意できない。彼女は永田町や霞が関での取材が中心であることから、東京管区気象台のことを "現場" と書いたのだろう。しかし、気象庁や国土地理院においては、気象台や地方測量部などの出先で働く技術職員たちが本当の "現場" なのであり、合同庁舎内の総務課で働く事務官は彼等とは異なる "官僚" である。
 上にも書いたように、本当に現場(職員)任せにしてくれていたら決して処分などされず、置き場が無いのなら今頃はどこかの大学か退職職員の自宅に保管されていた筈である。先輩たちの歴史を刻んだ資料に敬意も愛着も感じない、そして歴史的・文化的価値も理解できない一方で、保身と忖度だけは身に付けた官僚の手によって、この貴重な資料は失われたと見るべきである。

富士山測候所
日誌を廃棄 68年間つづった貴重な40冊
毎日新聞2018年8月10日 07時00分

 気象庁富士山測候所の職員が68年間つづった40冊以上の「カンテラ日誌」が所在不明になっていた問題で、同測候所を管轄した東京管区気象台は毎日新聞の取材に、昨年11月以降に「文書整理の一環」で廃棄していたことを明らかにした。気象観測のほか、眼下の空襲など太平洋戦争も記録した貴重な資料が失われた。閲覧したことがある気象専門家らは「職員が見たまま感じたままを率直に記した第一級の歴史資料だった。機械的に捨てるなんて」と批判している。

 同気象台総務課によると、日誌は昨年11月までは倉庫にあったが、他の行政文書と一緒に溶解処分したという。取材に対し同課担当者は「毎日の出来事や感想を個人的に書き留めたもの。職務ではなく、行政文書に当たらない。庁舎内のスペースは有限で、必要ないものを無尽蔵に保管できない」と説明した。

 日誌は、測候所が山頂(3776メートル)に移転した1936年から無人化された2004年まで書き継がれ、その後の大半は東京都内の同気象台に保管されていた。毎日新聞は今年1月、情報公開法に基づく開示請求で「不存在」の通知を受け、取材で「庁舎内にない。これ以上分からない」と説明された。3月の報道後、廃棄が分かったという。

 日誌は一部が一般書籍や気象庁発行の冊子、研究論文などに引用されている。観測奮闘記のほか、戦時中は南から飛来する米爆撃機B29の編隊や、空襲に遭った街が赤々と燃える様子を描写。「中都市が攻撃を受け、毎晩一つ、二つと焼土となる。これが戦争の現実」などと記していた。

 NPO法人「富士山測候所を活用する会」理事の鴨川仁(まさし)・東京学芸大学准教授は「世界でも珍しい資料。なぜ廃棄したのか理解できない」と落胆。「戦争被害調査会法を実現する市民会議」(東京都)の川村一之事務局長は「戦争に翻弄(ほんろう)されながら気象観測をしたことが分かる唯一無二の記録。もう読めないのは残念だ」と批判する。【荒木涼子】


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2018年07月11日

予告された水害 倉敷市真備町 2018/07

 まず、今回の災害の犠牲になられた方々に、慎んで哀悼の意を表したい。
 過去の多くの洪水災害において、適切なハザードマップが作成されていなかった、あるいはきちんと市民に提供されていなかったという問題があった。ところが、今回大きな被害を受けた岡山県倉敷市の真備地区については、大変優れた洪水ハザードマップが作成され、市民にも提供されていた。
 それが、どれだけ優れたものであったかという事実を、下に示す2つの図で見て欲しい。上段は市が作成配布していた「ハザードマップ」で、紫色の部分は「浸水深5メートル」を示している。下段は、今回の洪水災害について国土交通省国土地理院が調査に基づいて作成した7月7日時点の情報による「浸水推定段彩図」で、この2つの図は見事なほど一致しているのである。(それぞれのURLは末尾に記載)
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 この事実と、地域で実際に起きてしまったことは、次のように要約できる。
1.正しいデータと技術で作成されたハザードマップは、相当的確に災害の状況を予測していること。
2.倉敷市は、このマップを全戸配布し、市の広報紙でも通知し、さらにネットで公開・提供していた。すなわち、市役所として通常やるべきこと・できることは全て行っていたこと。
3.「豪雨」について、気象庁はかなり踏み込んだ予報を発表し。事前に警報も発していたこと。
4.にもかかわらず、逃げ遅れた人々が多数にのぼり、犠牲者も出てしまったこと。
 ここから浮かび上がる課題の一つは、住民の方達が折角の優れたハザードマップを活用できなかったのはなぜかということである。「岡山では大きな災害は無い」という意識が強く、ハザードマップの内容を軽視していたという側面も確かにあるかもしれない。だがそれ以前に、そもそも自分たちが住んでいる「平野」や「山裾」「比較的狭い谷」などが、どんな性質(土地条件)をもつ場所なのかという基礎的な知識が欠けていたこと、さらに、そこで異常な大雨が降る、河川が氾濫するなどした場合どのようなことが起きるのか、といった知識も共有されていなかったことがあり、そのためにハザードマップを活用できなかったのだと考えられる。
 ただし、そのことは断じて住民の方達の自己責任などではない。それはこの国で生きて行く上で最も大切な基礎知識であるにも関わらず、学校教育がこの分野にまともに対応してこなかった結果であり、そもそも「被害」はそこから始まっていると考えるべきだからである。
出典
倉敷市 洪水・土砂災害ハザードマップ「真備・船穂地区」(平成29年作成)
http://www.city.kurashiki.okayama.jp/secure/100849/06mabihunao.pdf
国土地理院 平成30年7月豪雨に関する情報[「浸水推定段彩図」
http://www.gsi.go.jp/BOUSAI/H30.taihuu7gou.html
posted by Yorifuji.T at 08:56| Comment(0) | 自然災害

2016年05月11日

「国内避難民」という存在


 シリア難民などの報道を見ても、一般の日本人はそれらの人々について“わが事”として関心を示すことは少ない。難民に関する報道で必ず出てくる「海外に逃れる人々を上回る多くの“国内難民”が・・」という話についてはなおさらである。

 国内難民(正しくは国内避難民*1)については、1998年に国連の人権委員会(当時)決議に従って提出された「国内強制移動に関する指導原則」という文書が存在する。
 この文書では、「国内避難民とは、特に武力紛争、一般化した暴力の状況、人権侵害、自然もしくは人為的災害の影響の結果として、またはこれらの影響を避けるため、自らの住居もしくは常居所地から逃れもしくは離れることを強いられまたは余儀なくされた者またはこれらの者の集団であって、国際的に承認された国境を越えていないものをいう。*2」と定義している。
 
 この定義の「、自然もしくは・・」から後ろの青字部分を良く読んで欲しい。
 現在の日本にも、津波や大地震で町や村が破壊されたために、また特に原発事故による放射線被爆から逃れるために、自らの住居・居住地から離れることを強いられまたは余儀なくされている多くの人々が、確実に存在しているではないか。
 これらの人々は、間違いなく「国内避難民」という国連人権委員会が定義した存在に該当する。
 しかも、国連の定義は「・・災害の影響の結果」と「・・影響を避けるため」とを明確に同等に示しており、行政による地域指定などを根拠に“自主避難者”などと区分することは認めていないのである。

 東日本大震災の発生から既に5年が経過した。子供や若者にとって、この5年という期間は決して短いものではなく、避難先が新たな故郷となり、そこでの生活が“本来の生活”になるのも当然である。しかも、原発の近接地域については、現実に“帰宅”できるのは最短でも40年後、廃炉作業の状況によってはさらに遅れることが予想されるのである。

 一体、いつまで“仮住まい”や“避難生活”をさせるつもりなのだろう。一刻も早く、新たな土地で“本来の生活”が取り戻せるように、“人”に対する手厚い支援を行うべきなのは明らかではないか。
 それでも、日本政府は依然として頑なに“帰還”を掲げ続ける。一つの理念的目標としてなら解るが、これまでの政策の中心も徹底して被災“地”の復旧・復興であって、被災者・避難者の生活の“再建”ではないのである。
 全国各地に分散した避難者、特に自主避難者たちの今後の生活見通しは、避難先の地元自治体の方針次第という状況になりつつある。受け入れ側の自治体にも様々な事情・課題はあるわけで、結局“運まかせ”ということにもなりかねない。
 
 10万人を超える“国内難民”の人生・将来に何らの責任ある施策もとらず、一方で電力業界や土建業界は最大限支援し、ジャーナリズムには圧力をかけ続ける。そんな政治家たちに、私たちはこの国を委ねている。

*1. 「国」を出ると「難民」になる。
*2. 日本語訳は、GPID日本語版作成委員会(代表・墓田桂)による。
拙著:国内避難民問題としての東日本大震災, 「人権21・調査と研究」212号, pp.40-46,
    2011年6月, おかやま人権研究センター


posted by Yorifuji.T at 06:10| Comment(0) | 難民・避難民